秋色に染まるクロアチア・スロベニア周遊9日間 2012.10.4~12
クロアチア、スロベニアとボスニアの3ケ国を回った、天候にも恵まれ楽しく期待通りの旅行でした。
この3ケ国は旧ユーゴスラビア領で激しい内戦の結果、分離独立した国々である。
観光のスタートはスロベニアから、面積は四国程の大きさとか。最初に向かったのはブレッド湖。世界的に有名な美しい氷河湖、湖の中に浮かぶ小島には15世紀に建てられた聖マリア教会が、島へは20人ほど乗れる手漕ぎのボートで、
ゆったりとして良いですね。そして湖畔の崖の上に11世紀に建てられたブレッド城、ここからの眺望は素晴らしい。
ブレッド湖観光のあと次に向かったのはポストナイ鍾乳洞、内部は観光電車が走るスケールの大きさ、訪れる観光客も凄い。中国人が多いです。
クロアチア観光はドゥブロヴニクからスタート。クロアチアを代表する観光都市、多くの教会、修道院や宮殿など、
中世の面影が残る歴史的建造物がひしめき合っている。アドリア海の真珠とも言われ、この旧市街は重厚な城壁に
囲まれ、オレンジ色で統一された屋根、その先に紺青のアドリア海が広がる、絵はがきそのままの光景が。
この日は10月にしては気温が高く、城壁の上は一周できるが、とても暑く日射病が心配で途中で降りました。
次はプリトヴィッツェ湖群国立公園、世界遺産で16の湖と92の滝をもつ国立公園。広大な公園内を5時間かけて散策し、一部は遊覧船で回った、恐らく公園の一部と思われる。船には中国人と韓国人観光客も乗船、東アジア人で混雑していました。
他に中世の街並みが残るシベニクの旧市街地観光、古代要塞都市スプリットの旧市街地観光。勢いよく流れる渓流の上に家があり、あちこちに小さな滝があって、まるで絵本に出てくるような珍しい光景のスルニィー村観光など充実したクロアチア観光でした。
ボスニア観光はモスタルだけ、それも数時間。モスタル観光のハイライトは16世紀に建造されアーチ型石橋スターリ・モスト、造形美も建築技術も素晴らしい。モスタル市街地には無数の弾痕がある建物が残って内戦の傷跡が生々しい。これらの建物は放置なのか、保存されているのか判らないが。
また、市内を走っている路線バスが日本からの援助であると日本語でも書かれており、日本人として誇りに思えた。
3ケ国のうちEU加盟国はスロベニアのみ、ボスニアからスロベニアに入るには入国審査が厳しい、未就労者がEU圏に
流入するのを防ぐため。ボスニアは貧しく職を求めてEUに行くが、定職に就くことは難しくスリなど犯罪を犯す確率が高いためとか。ローマに行った際、スリがとても多いかった。ローマ人がスリをするのではなく、貧しい東欧からの
人達が稼ぐためにローマに来てスリをしていると当時は説明された。
検問所に着いたら凄い車の列、通過に何時間もかかりそうな様子、しかし、観光バスは別ルートでスムースに通してくれた。
旅行中に撮影したビデオです、URLをクリックすると見れます、宜しければご笑覧下さい。
・クロアチア・スロベニア旅行(1)
http://www.youtube.com/watch?v=nR_wLnwUFNY
・クロアチア・スロベニア旅行(2)
http://www.youtube.com/watch?v=GnVsRTJc4fo
・クロアチア・スロベニア旅行(3)
http://www.youtube.com/watch ?v=NYmoagkR4Vw
・クロアチア・スロベニア旅行(4)
http://www.youtube.com/watch?v=dSvgy8Ctczk
・クロアチア・スロベニア旅行(5)
http://www.youtube.com/watch?v=2rImORypPY0
べストシーズンのトルコ8日間の旅、天候にも恵まれ、みどころ一杯の楽しい旅でした。また、初めてのイスラム教の国に大いに興味がありました。
トルコはヨーロッパとアジアが交錯する国と言われるが、個人的にはヨーロッパの色彩を強く感じました。また、どの街にも目印のようなミナレット(尖塔)のあるモスク、礼拝時間になると哀愁帯びた音色のアザーンが街に流れ、街歩く女性はヒジャブ(スカーフ)で頭髪を覆い隠し、イスラムの国であることを実感します。女性は美人が多く、男性も体格が良く格好いい、日本の男性はちょっと貧弱かな。?
日本の2倍の広大な地は雨量が少なく乾燥した土地という感じ。山々には樹木は見当たらない、これは表層土が少なく、少し掘ると石灰岩なので樹木が成長出来ないとか。しかし、穀物、野菜や果物など食料の自給率は日本に較べて
圧倒的に高く、多くは輸出しているとか。地下資源は豊富、大理石も沢山掘り出されるとか羨ましい限りである。
観光は見所が多く、アルテミス神殿の遺跡、山一面が白いバムッカレの石灰棚の温泉、溶岩が長い年月かけて浸食されて出来たカッパドキアの奇岩群。またエーゲ海の夕日と朝日も期待通りに美しく素晴らしかった。ベリーダンスディナーショーやイスタンブールのバザールや市内観光も良かった。最後はボスポラリス海峡のクルージングを、この時だけは残念ながら別れ雨。他にも見所は沢山ありました。
トルコ料理のイメージは全くなく、興味深々であった。しかし、出された料理は一通り食べてたが特に違和感なく美味しく頂けた。宗教的なことで肉料理が少なく、野菜や果物が多かったのも印象的でした。
朝早くから、夜遅くまで、厳しいスケジュールで疲れたが、充実した内容で楽しい旅でした。日本人の海外旅行人気ベスト5にトルコが入るそうで、どこの観光地にも日本人観光客がいました。
旅行中に撮影したビデオ作品です、URLをクリックすると見れます、宜しければご笑覧下さい。
・魅惑のトルコ8日間の旅(1)
http://www.youtube.com/watch?v=_rfciW8VP_k
・魅惑のトルコ8日間の旅(2)
http://www.youtube.com/watch?v=c4fzOAA9q6E
・魅惑のトルコ8日間の旅(3)
http://www.youtube.com/watch?v=tWwM7m26_EA
・魅惑のトルコ8日間の旅(4)
http://www.youtube.com/watch?v=xj54_duyEvk
・魅惑のトルコ8日間の旅(5)
http://www.youtube.com/watch?v=GbwOjYC9Nt8
・魅惑的なトルコのベリーダンス
http://www.youtube.com/watch?v=UEFjy7VCNAQ
韓国・世界遺産周遊とソウルの旅 2011.5.8~11
羽田~ソウル・金浦空港間、往きは2時間20分、帰りは1時間50分、国内旅行感覚、ビールも飲めてgoです。
その国の歴史を知るには世界遺産を見るのが早い、そんな高尚な目的で行った訳でなく、韓国に全く興味をしめさない女房を世界遺産を見ることを口実に連れだそうと。韓国行き誘っても、辛いものが苦手、韓流ドラマは関心なし、全く反応がありません。ただし、世界遺産に関心があるので、これを見に行こうと言うと意外にあっさりと成立です。
今回行った世界遺産は次の3ケ所です。
① 安東市の河回村(ハフェマウル)。農村における伝統的な生活様式を保存している「民俗村」。
② 慶州市の仏国寺(ブッコクジ)と石窟庵(セックツアン)。仏国寺は仏教寺院、スケールが大きく立派な寺院。 石窟庵の石仏
は新羅美術の最高峰とか。
③ ソウル特別市の昌徳宮(シュトクキュウ)。最も創建時の面影を残した宮殿と言われ、スケールの大きな建造物は見応えが
ある。
現地ガイドさんが言ってました、韓流ドラマを見て同じように格好いい男に会えると思って多くの日本女性は来るが、そんないい男何処にいますかと、なるほどその通りですね。ドラマと現実を混同しないことが賢明です。
4年振りの 韓国、この間、ソウルは特別変わった印象はないが、お店の名前に漢字やカタカナ表記が増えたこと。
厳しく規制され、以前はほとんど見かけなかったのに較べ、日本の韓流ファンが多く訪れるなど事情も変わっているようだ。日琉はおしゃれとの思いがあるようで、特に若い人は日本文化に憧れが強いとか。
ソウルの繁華街・明洞(ミョンドン)を歩くと大変な賑わい、最近の韓国の勢いを感じます。
韓国・ソウル 2005.6.22~25、2005.10.11~14
2005年にソウルに2回行きました。2度目の勤務先の仕事の関係で行ったが合間に観光もさせて頂き、ツアーでは行けない場所も案内して頂き良かった。韓国側から北朝鮮が見れる展望台が数個所あるとか、その一つに案内された。
ここは軍が厳重に管理して入るには手続きが必要でした。大きな河の対岸は北朝鮮、長閑な田舎の風景が広がっている。ここに日本人が拉致されていると思うと複雑な気持ちになります。権力者の一存で不条理なことが長いこと続いて、何ともやるせないことです。
2回とも同じ人が通訳として付いてくれたが、彼は仕事で東京にはちょくちょく来てるとか、都心のことは我々より
良く知っている。日本のサッカー選手のことも詳しく、日本への憧れとか、関心が強いです。
小生が60歳過ぎていることに、若いですねとびっくりしていました。韓国では定年過ぎると働くところがなく、中々
大変とか。
5都市周遊の旅に参加、忙しく移動、そして観光でした。
初日:成田空港を16時に離陸、台北国際空港に20時チョイ前に到着。添乗員の同行はなく、現地ガイドさんと合流。
空港から直ぐにバスで台中へ移動、約2時間で到着、初日はここで宿泊です。
2日目:午前中は景勝地「日月潭」に向かい、「文武廊」や「玄奘寺」を見学。日月潭はきれいな湖で、芦ノ湖の雰囲気と似ているかな? 。午後は高雄に移動、「澄清湖」と「蓮池潭」を観光。
3日目:特急列車で「花蓮」に移動、車窓からヤシやバナナが多く見え、熱帯の雰囲気が感じられよかった。
午後、景勝地・太魯閣渓谷を観光。太魯閣渓谷は大理石の奇岩怪石が約20kmにわたって続く峡谷、雄大な景観が素晴らしい。地元、阿美族の民族舞踏ショーを見てからホテルにチェックイン。夕食はホテル内のレストランで中華バイキング。中国本土からの観光客が大変多く圧倒されます。
4日目:特急列車で「瑞芳」に移動、車窓からは田んぼが多く、日本の風景と似ているが、樹木や建物に違いが。午前は映画「千と千尋の神隠し」の舞台となった「九份」を観光。最近、人気の観光地とか。昼食は郷土料理、ほどほどに美味しい。日中の気温が34℃とか、外にいると蒸し暑く、汗がポタポタと。
午後はバスで台北に移動、「忠烈祠」と「国立中正紀念堂」を見学。忠烈祠では衛兵交代式がタイミング良く見られる。国立中正紀念堂は広い敷地に巨大な建築物とスケールの大きさを感じます。
夕食は台湾料理店で。食事のあと希望者のみ、世界一ノッポビルであった台北101に、世界最速のエレベーターで87階の展望台まで37秒、たしかに速い。
5日目:国立中正紀念堂に向かう。ここで地元の方と太極拳を体験、蒸し暑く、ちょっとの動きで汗が。最後は故宮博物館を約90分見学。中国人観光客が圧倒的に多く、喧騒の中で展示物を見ることもままならず。台北国際空港に向かい、各自が搭乗手続きを行ない帰国。
台湾は親日と聞いていたが、我々が日本人と判ると日本語で話しかけてくれ、また台北の101のエレベーターを乗るのに長蛇の列で大変で。しかし、我々が日本人と判ると業務用の別エレベーターに載せてくれるなど友好的でした。
中国本土の人に対する感情の良くないことが分かります。
今回の旅行は特に目的があった訳でなく、飛行時間が短いということで決めたが、料理は美味しく、親日的で初めての台湾は良かったです。残念ながら写真はありません。
情熱の国スペイン10日間 2007.9.7~16
情熱の国スペイン10日間の旅でした、まだまだ暑い時期でしたが天候にも恵まれ楽しい旅でした。広いスペイン国内は長距離移動が多いが参加者13名で大型バスに、一人一席と恵まれました。スペインで思い浮かぶのは闘牛、フラメンコ、風車、ドン・キホーテくらいかな。旅行中に感じたことは広大な平地、そしてオリーブ畑が広いこと。バスで2時間くらい走っても360°オリーブ畑が続くことにびっくり、どんだけオリーブ油が作られるのかな。どこに行っても毎食生ハムが出ること、好物なので喜んで食べました。マドリッドとバルセロナはお洒落な街、地方に行くと長閑な田園風景、特に南のほうは家は白壁が多く街がきれいなのが印象的でした。
旅行中に、バスの車内で添乗員さんから安倍首相が辞めるそうですと話されました。この頃からインターネットが普及、海外にいても日本の出来事が直ぐに判る時代になりました。
成田からフランクフルトへ直行便です。丁度、ドイツでサッカーワールドカップがドイツ開催中、日本からも応援に
行く人で機内は異様な雰囲気。隣席の親子もサッカー応援とか、子供は小学生です。ワールドカップは凄いですね。
翌日から観光がスタート、クルーズ船でのライン河下り、あいにく小雨も、途中から晴れてが良かったです。
ライン河下りは人気のようで船内、デッキとも混雑してます。ワインやビールを飲みながらクルージングを楽しんで、
これがヨーロッパの雰囲気でしょうか。日本人は写真を撮りながら、ただ景色を見ているだけ、ちょっと寂しいです。
ドイツワインセラーでは日本人女性がワインの説明を、一生懸命に説明してくれたが、旅の初めで誰も買いません、
ちょっと可哀そうでした。試飲もなかったです。
白亜の名城、ノイシュバンシュタイン城も良かったが観光客で大変な混雑、見学時間が決められ、城内も落着いて
見れません。
オーストリアはシェーンブルン宮殿の建物が素晴らしい、観光とは別に宮殿の夜コンサートに行った、閉め切って
行うので暑くて窒息しそう、少しオーバーながらそんな感じ、演奏は心地よく聞け良いひと時でした。
モーツァルトの生誕地、そして岩塩の採れることで知られるザルツブルク、静かな雰囲気のある街で良かったです。
ドイツに限らずヨーロッパは水とトイレは有料、従って常に小銭を持ってないと特にトイレは困ることがあります。
トイレは並ぶことが多くうんざりでした。トイレ事情は日本がほうが良いです。
ミネラルウォーターとワインやビールの金額はほとんど変わらず、そんなことでランチでも公認でワインやビールが
飲めます。(笑)
ドイツはビールが美味しいと期待していたが、日本ビールのほうが飲み慣れているせいか美味しいです。
ドイツは基本クラフトビール、先々で違うビールを楽しめるが、日本のようにキンキンに冷えてなく、少し温め
ビールの醍醐味であるのどごしがイマイチ。
ツアー中のバス運転手はオーストリア人、ドイツは嫌いだと言ってました。どこでも隣国同士は仲が悪いとか、
永い歴史の中で微妙な関係なんでしょうか。
ビデオカメラを購入、ぶっつけ本番、簡単には撮影出来ません、上手く撮れてなく再生しても一部しか観れません。
う~ん残念。これを機会にビデオの撮影と編集を一生懸命勉強し、何とか見れる作品が作れるようになりました。
女房は写真を撮っていたが、それも不明。
ハワイ・ホノルル 6日間の旅
飛行機とホテルがセット、現地では全てフリータイム。JTBハワイの社長が知人で飛行機とホテルは全てお任せ、
良い旅でした。ハワイは日本人観光客が多く、英語が達者でなくとも特に困ることなく観光出来ました。
ダイヤモンドヘッドの頂上でも横浜・金沢文庫の人と偶然一緒になり、やあやあという感じでした。
イタリアぐるり周遊10日間 2001. 9.7~16
初めてのヨーロッパ旅行、石造り建築と石畳みの道路、そしてどの街にも大聖堂があってヨーロッパを感じる旅行でした。大聖堂はその街の財力を示すものとか、そんなことで競って立派なものを造るのですね。
成田でいきなりのトラブル、日航機のエンジントラブルで出発が遅れ、ロビーでいつ出発するのか分からず、結局5時間遅れで離陸、この時点で少々お疲れです。成田空港からミラノへ直行便です。
ピザの斜塔を観光中に現地日本人ガイドから、ニューヨークで大変なことがあった聞かされた。その時は何のことかさっぱり判らずホテルに戻りテレビを見ると高層ビルに飛行機が突っ込む映像が繰り返し放送されていた。
しかし言葉が判らず何が起きたのか十分に理解出来なかった。翌日、ガイドさんの説明の事情を理解、飛行場や高速道路が閉鎖されたと聞かされ、帰国出来るのかと皆心配した。しかし、翌日から普通に観光でき、無事に帰国出来たことが忘れらない旅行となった。
初日:ミラノ ⇒ モコ湖観光 ⇒ ミラノ市内観光 2日目:ミラノ ⇒ ベニス観光
3日目:ベニス ⇒ サンマリノ観光 ⇒ フィレンツェ 4日目:フィレンツェ市内観光 ⇒ ピザ斜塔観光
5日目:フィレンツェ ⇒ シュナ- ⇒ アッシジ ⇒ ローマ 6 日目:ローマ市内観光
7日目:ローマ ⇒ ポンペイ遺跡観光 ⇒ ナポリ観光⇒ ローマ 7 日目:午前自由時間、午後ローマ ⇒ 成田空港
アメリカ・フェニックス&マイアミ6日間 1999. 11.28~12.3
ある試験をアメリカの試験機関に依頼しているが、試験環境や試験状態を調べる目的で現地を訪れた。場所はアリゾナ州フェニックスとフロリダ州マイアミの2カ所。
フェニックスとマイアミ、位置的にメキシコに近くメキシコ人が多いです。サポート業務はメキシコ人の仕事のようです。日本人と似て背が低く、明るくて、人なつっこく、とても親近感が湧きます。
アメリカ人は肉をよく食べるのに感心します。ステーキかハンバーグ、それも大きなサイズ。それとコカ・コーラ、
老人も同じで、肥満になるのも無理ないです。肉も続くと苦痛で、マイアミでアメリカ産の日本酒と寿司を食べたら、
胃もたれが解消、スーと通った感じになりました。ただ、寿司も日本のにぎりとは違い、野菜サラダのような巻寿司
だ出たり、驚きのメニューが豊富でした。
アメリカに来て感じたことは全てにおいてスケールが違うこと、こんな大国と戦争して勝てる訳がない、内弁慶で
相手のことを良く知らずに無茶なことをしたものです。
今回は仕事の合間に観光もさせて頂き楽しい思い出が沢山。
アリゾナ州は上空から見ると半砂漠化した乾燥した土地が広がって、そこに自動車メーカのテストコースが幾つもあるとか。トヨタや日産など日本メーカのコースもあるようだ。他に利用価値がないのかな。
今回訪れた試験場もそんな砂漠化した土地、3~4mはあるようなサボテンが多く生え、日本人からすると珍しい光景である。人が生活している地域は当然ながら砂漠化してないが、湿度が低い感じはする。
西部劇時代の街並みを再現したテーマパークに案内され、幌馬車に乗って園内を一周楽しかった。
同じ試験会社であるが、アリゾナとは環境条件の違うマイアミでも試験を行っている、こちらは樹木が多く、水も豊か対照的である。
昔、何かを掘り出した跡に水が溜まった無数の沼があり、大きい沼にはワニがいるので要注意とか、お~怖い。
フロリダは全米各地からリタイヤした富裕層 が終の棲家をここに建てるとか、豪邸が沢山あるそうです。アメリカは
土地が広いので日本に比べてスケールが違います。
ホテルのフロントで宿泊手続きを行っていたら、係の女性が日本語でお仕事ですかと声をかけてくれ日本人と分かり嬉しかった。また、夕食で行ったレストランに日本人のカップルが二組、聞いたら新婚旅行で来ているとか、アメリカの端でも日本人がいることに少々驚き。
シンガポール いい旅5日間 1999. 5.27~31
シンガポールは過去に仕事で2回行っており、今回で3回目であるが夫婦で来るのは初めて。
今回の楽しみに、同じ職場で一緒に仕事していた女性が結婚、旦那の転勤でシンガポールに来ているが、久し振りに逢えること。事前にお土産は何が良いか聞いたら日本酒とか。シンガポールにも日本酒はあるが高いのと、防腐剤が入っており少し拙いかとか。旦那は苦労が多いのか少し老けた感じ、彼女のほうは昔と変わらず明るく現地生活を楽しんでいるようであった。
観光で最も衝撃的であったのは蝋人形館に戦争当時の様子が再現して展示されていること。日本軍はこんな遠くまで来て多くの人に迷惑をかけていたのかと複雑な気持ちになりました。
最近のシンガポールはきれいになり過ぎて面白くないと聞くが、来るたびに変化しています。
シンガポール出張、2回行きましたが年月は忘れました。
会社に入社して最初に付いた上司がシンガポール事業所を立ち上げた、そんなことで一度行きたいと思っていたが、
今回の出張で念願かないました。
仕事の合間に観光もさせて頂き、観光旅行では行かない所も案内して頂き良かった。狭いながら中華街、インド人街など雑多なものが混在している国でもある。
日本人駐在員が約2万人とか、夜ごと駐在員が集まる居酒屋だけが入る雑居ビルがあり、あるお店では大阪のおばちゃんが経営しており、関西弁丸出してシンガポールにいるとは思えなかった。
カナダ周遊8日間 1998.9.19~26
開戦の年に生まれたが、名前が「洋一」、太平洋一番乗りするような勇壮な男になるようにと、親父の思いで付けたそうです。当時の世相から付けられた名前ですね。行きはカナダ直行便でなくロス経由でトロントへ、機内からアメリカ大陸が見えたときは念願かない目頭が熱くなったこと記憶してます。勿論、平和な時代であることは幸せなことです。
夫婦で行った初めての海外旅行、カナダの豊かな自然は素晴らしく、スケールの大きさに圧倒されました。最後のバンクーバはとても落着いた街、個人旅行でもう一度行きたいと思いながら実現してない。