三浦半島三十三観音札所めぐり
約8百年前の建久3年(鎌倉時代初期)、三浦半島一帯に起きた大飢饉に人々は苦しんだ。その時、長井(現在の横須賀市長井)に住む源義経の家臣 鈴木三郎重家が人々の救済を発願*し、三浦半島の三十三ケ所の霊場を参拝して巡りました。すると霊験あらたかに忽ち浜は大漁、陸は豊作となり、人々は飢饉から救われたと言います。それ以来、その霊場を三浦札所と定め毎午年を本開帳、毎丑年を中開帳そして開扉供養をすることになりました。 *:ほつがん=願をかる
三浦三十三観音の由来(三浦三十三観音公式サイトより)
三浦半島の横須賀市、三浦市、逗子市、葉山町にある33寺院で2014.4.18~5.18の期間、「三浦三十三観音本開帳」が行われるのを機会に観音めぐりを行った。午年の本開帳と丑年の中開帳、12年間で2回しかない貴重な機会である。
「法華経」によると観音は三十三の姿に身を変えて人々を救うということが記されている。この三十三身のエピソードをもとにつくり出されたのが三十三観音である。当初の観音は聖観音(ショウカンノン)の姿をとっていたが、7世紀頃からさまざまな姿の変化観音が登場する。例えば、十一面観音や千手観音など。
三浦三十三観音で見ると聖観音菩薩(15寺)が最も多く、十一面観音菩薩(9寺)、千手観音菩薩(2寺)、瀧見観音菩薩(2寺)、不空羅索、馬頭、定印、正、如意輪観音菩薩は各1寺で総計33寺である。